カテゴリ:DIARY( 13 )

13 雨夜の月

変な時間に仮眠を取ったせいで眠れなくなってしまった。

しかたが無いのでこそこそと珈琲を淹れはじめた。ドリッパーを用意し、カリカリと豆を挽き、温めたカップに少しづつ丁寧にお湯を注ぐと、ふわりといい香りが立ちのぼる。いつもより少しだけ丁寧に淹れた珈琲は、何も入れずにほろ苦さを味わうほうがいい。美味しいと思えることに満足する。

ゆるりと流れる曲を聴きながら珈琲の香りが燻る怠惰な時間。好きなことを好きなだけ想う時間。つかの間の自由時間はいつもこんな時間に訪れる。怠惰と赦しを許容する真夜中の空気は好きだ。明日の予定を思えば早く寝るべきなのはわかっているのだけれど、忙しいときほど私は好んで夜更かしをしてしまう。時が流れていくのをただ漫然と眺めるだけの時間を得ることで、忙殺される日々とのバランスを取っているのだと思う。少し疲れているのかもしれない。

苛烈に照りつけていた陽が柔らかくなり、空が高くなった。暑さと寒さが曖昧になり、秋が来たなぁと思う。読書の秋、食欲の秋、創作の秋。今年の秋は何がしたいだろう。夏が陰り始めると毎年そんなことを考えて、私はいつも早々に夏を終わらせてしまう。薄れゆく炎夏に少しほっとする。夏が1番好きだという彼ほど私は夏が好きではなくて、好きにはなれなくて、それをいつもなんとなく申し訳ないなぁと思う。同じものを同じように好きになれなくてもいいとわかってはいるのだけれど。

嬉しいと思う出会いがあった。寂しいと思う別れがあった。楽しいと思うことが1つ増えた。同じように面倒だなと思うことも増えた。好きではなかったことに興味を持ち、好きなことが少し薄れていく。天秤にかければ結局同じだけの重さがのし掛かって、また1つ抱える荷物が増えただけな気もする。荷物を下ろせば楽になるのだろうか。

どうしたら荷物を下ろせるのかといつも考えるのだけれど、生きるということは何かを抱えて生きていくということなわけで、ひとりでは生きられないように手ぶらで歩くことなんてできないのだとも思う。何かを好むということが何かを嫌うことに繋がって、何かを選ぶことが何かを切り捨てることに繋がるのだとするなら、新たに荷物を抱える隙間を生むだけかもしれない。

雨の匂いがして、なんとなく窓の外を覗くと眼下の路面が濡れていた。ぽつりと立つ外灯が滲むように光っている。今日の雨は音も立てずに訪れたらしい。朝には止むだろうか。街を包むような細かい雨が上がった朝は、冷たく澄んだ独特の匂いがして、街が少し潤んで見えるかもしれない。


そう思うと、夜明けが少し楽しみになった。







by yukadiary | 2018-10-12 00:59 | DIARY

12 夏の香り


言葉を綴る習慣を思い出そうと、この日記をUPし始めてひと月が経過した。

炎夏の夜を慰める雨声を聴いた日から、あっという間のような、まだまだのような、少し曖昧な気持ちでいたのだけれど、気がつけば夏陰を探し歩いた季節が少し和らいだ気がする。

マンション前の路地では鳴き疲れた蝉が儚い生涯を終えていた。課題に追われる学生の嘆きに紛れて、来年使用の手帳発売という声が画面の向こうから聞こえてくると、そんな時期かーとまたぼんやり思う。夏らしいことをしたいなーと思っていたのに、結局打上げ花火も夏祭りにも参加できず、浴衣を着ることもなく、気がつけば8月も終わるという事実。例年のごとく「夏らしい」ことに縁がないまま、日々の小さな出来ごとから季節は滔々と流れているのだと思い知る毎日。

自分の誕生日が8月の終わりのせいか、誕生日が来ると夏の終わりを想う。関東は夏休みの終日が8月末ということもあって、この感覚は学生時代の名残かもしれない。今年もそろそろひとつ年を重ねる。そんなに嬉しくもないけれど、否定するほど嫌でもない。夏生まれなのに夏が苦手だということが少し切ない。

季節が移り変わる前触れか、竜の巣のような積乱雲を見た。あの中に絶対ラピュタの城が浮かんでいるはず!と驚愕しつつ見ていたのだけれど、TLで同じように思った人が大勢いて笑ってしまった。名作は何年経っても色褪せずに人の心に残るのだなと思う。飛行石が欲しいな。

そんなことを思っていたら、翌日は途切れることのない光が雲を割くように駆け抜けて、雷鳴轟く豪雨となった。この日は実に二万もの落雷があったらしい。熱に呼応する雲が鳴いているようだ。体の奥底に響く雷鳴に慄きつつ、どこかでその雷光を美しいと称えながら窓の外を眺めていた。苛烈な夏の声を聴いた空は、何に憤っているのだろう。誰かが『バルス』とでも唱えたのか。

尊大に膨れ上がった自意識を垂れ流して街を構築し、万能であるかのように振る舞う様を嘲笑うように、自然はあがらうことのできない力をもって、唐突に人の営みを蹂躙する。その度に人は自然の力の激しさに驚愕し、畏れ、哀しみ、憤るのだけれど、また少しずつ記憶を溢しながら前へ前へと歩いていく。人は愚かで可愛い生き物だから、日々何かを忘れながら生きていく。忘れたいことも忘れたくないものも、忘れてはいけないことも等しく。この雷雨も週が明ければ話題にものぼらないだろう。自然の脅威という言葉を目にする度に、自嘲しながらそんなことを思う。

人は愚かで可愛い生き物なので、自身を過剰に褒め称えなければ生きていくこともままならない。それが自分への鼓舞であれ憐憫であれ同じことで、他者と比較しながら社会性を身につけることを義務付けられた人間は、絶えずマウントを奪い合うようにして生きている。そうしなければ漠然とした不安や苦悩に押し潰されてしまうのだろうか。愛し合う人と日々の食事と安心して眠れる場所さえあれば、人は生きていくことができるというミニマムな原理原則に共感を覚えた夜が沈んでいく。もっとシンプルに生きたい。

雷鳴を轟かせた雲は熱を引き連れてどこかに消えた。喧騒の夜に落としていったのは、夏の終わりを告げる湿風と雨の香り。今年の夏がまた南へ帰っていく気配がする。あなたは苦手だけど嫌いなわけじゃない。

ぼんやりしていると知らないうちに消えて見えなくなってしまうから、ここに記しておく。


さようなら。
また来年逢いましょう。









by yukadiary | 2018-08-29 00:32 | DIARY

11 献杯


今日は偲ぶ会だと、彼が週末に言っていた。

昨年の5月、GW明け。彼の慕っていた上司が急死したと知らされて、珍しく落ち込んでいたのを思い出す。40代半ばの突然死。1部上場の企業の中でも、有能で出世頭であったK氏の訃報はあっという間に駆け巡り、仕事先では過労死ではないかと囁かれていたらしい。家族の意向で葬儀は身内のみで行われ、彼が知ったときには既に通夜も葬儀も終わっていた。

逢うなり酒が呑みたいという彼に付き合ったのだけれど、外呑みが好きな彼が珍しく家呑みを希望したので、簡単な酒の肴を用意し、彼の思い出話に寄り添ったあの日からもう1年と3月が過ぎている。あの日、酒豪を自負する彼が顔を真っ赤にして酒を呑みながら、ぽつりぽつりと静かに語るたびに心が透けて見える気がして、ゆっくり沈んでいく夜に2人で献杯をした。

苦しいとか寂しいという感情を上手く隠して生きる癖がついた男の人は、心の機微をあまり話してはくれないものだけれど、薄く笑う彼の口の端に、紡ぐ思い出の断片に、寂しさと小さな後悔が滲んでいた気がする。常に物事にあまり動じない彼のあんな顔を、あんな塞ぎ込んだ姿を見るのは初めてかもしれない。お酒を注ぎながら内心で酷く驚いたのを憶えている。

彼の語る生前のK氏は、まだ彼の中で生々しいほどに生きていた。かけてくれた言葉と心を思い返していたあの日、「泣きはしないよ」と笑っていた彼はきっと泣いていたのだろう。現実に涙を流すことができなくても、間違いなくあのとき、彼の心は泣いていた。

仕事嫌いで飄々と生きる彼が入社当時すでに有能であった上司を、いつも怒られていたんだよと零しながら、心の中で涙を流すほど慕っていたのだと感じて、そのことになぜか胸がいっぱいになった。きっと仕事を超えてあまりあるほど素敵な人だったのだと思う。あの彼がそこまで慕うほどに。それでも結局私は何も言えず、ただK氏を偲んで寂しそうに笑う彼の思い出話に付き合っていただけだった。

私はその方を知らないけれど、心に刺さる棘のような後悔は痛いほどよく知っている。最後に逢った遠い佳日、もっと飲みに誘えばよかったと、もう少しまめに連絡を入れれば良かったと、悔やむ気持ちを笑い飛ばしながらあっという間に酔いの回った彼は、そのまま小さな寝息をたてて眠りについた。


もしもこの先、私が突然彼の前から姿を消したら、やっぱりこんな顔をするのだろうか。積み重ねてきた思い出を振り返ってくれるだろうか。今日のように小さな悔恨や寂しさを抱えて、泣くこともできずに杯を重ねるのだろうか。それとも夜に赦されながら涙を流すのだろうか。どこかでそうであったらいいなぁと想う私は、なんて醜悪で傲慢なのだろう。

そんな私の気持ちが透けて見えたのかもしれない。「YUKAは死なないでね」と最後に小さく呟いて眠りについた彼に驚いて、やっぱり彼にあんな顔をさせるのは嫌だなと思う。私の不謹慎で傲慢な想いを吹き飛ばしてしまうほど、彼は悲しんでいた。

あれからずっと、通夜にも葬儀にも参列できなかった淋しさを抱えていた彼は、K氏を慕う有志で偲ぶ会が開かれると聞いて参加を決めたと教えてくれた。地元を離れて呑むことが好きではない彼が、珍しく電車を乗り継いで参加する。

「いってらっしゃい。気をつけてね」とLINEをして始まった今日が終わる。きっと今頃、多くの思い出を抱えた仲間と呑んでいるのだろうと思う。この夜が明ければまたいつもの日常が始まり、尊敬する上司との過日を思い出に閉じ込めて、彼らの日常は続いていくだろう。

今日は酒の力にあがらわず、思い出の呪縛に逆らわず、その力を借りてきたらいいと思う。できれば人前で泣くことのできない男の人たちに、泣くことのできる力を貸して欲しい。静かに満ちていく夜に赦されてほしい。そして綿々と想いを語って安らかであれと願ったあとは、それらを酒に流して、きれいに呑み干して、彼らの心に抱えている憂いが少しでも晴れることを願う。


彼が慕うK氏と彼のために
今日は私も献杯を。



5.10記事





by yukadiary | 2018-08-22 22:26 | DIARY

10 向日葵


母は私の誕生日に、小さな向日葵を花束にして贈ってくれたことがあった。

私の年の数の向日葵を束ねた花束は、黄色と黄緑色の包装紙で綺麗にラッピングされて、なんとも明るく豪華だったのを憶えている。「陽に真っ直ぐ向かって夏の日差しにも台風にも負けない向日葵は、私の中での貴方のイメージ。自分の信じることに向かって強く真っ直ぐ生きていこうとする貴方が、時々羨ましい」そう言って笑っていた。「貴方のような生き方を、私もしてみたかった」そう言われて、そんな風に思っていたのかと内心ひどく驚いたのを憶えている。

そんな母は自分を「カスミソウ」に例えていた。庭で薔薇を育て、薔薇をこよなく愛していたはずなのに、娘を向日葵にたとえ、自分をカスミソウに例えた母の中に、どんな思いがあったのだろうと思うことがある。その意味を母は語らなかった。だから私も聴かなかった。今となっては聴くこともできないのでその真意はわからないままだけれど、聴かなくてもわかる気がしている。たぶん当時の私もそうだったのだろう。

次に訪れた母の誕生日、私はカスミソウを花束にして贈った。花屋のカスミソウを全て買い占めて、両手で抱えるほどの花束にして。薄桃色の包装紙に包まれたカスミソウは繊細で可憐なのに豪華で、淡雪みたいに美しかった。「お母さん、カスミソウも素敵ね」そういった私の祝いの言葉に泣き笑いした母の顔を、私はきっと忘れない。

それぞれの生活が滞りなく流れているのを、どこかで見ているだろうか。母が逝ってしまってから、家族で集まる機会はめっきり減ってしまった。それでも、それぞれが思い出したように海へ向かう。波のまにまに、面影を探して語りかけたくなるのかもしれない。生きる時代も生き方も母とは違う私の人生だけれど、この先待ち受けている様々な事象の中でも、陽に向かって真っ直ぐ顔を上げる向日葵のようで在りたいと、切に思う。


夏を迎えて風に揺れる向日葵を見るたびに、私を向日葵のようだと言った母を思い出す。
いつの間にか、向日葵は母を想う花になった。

今年もお盆が過ぎていく。
また来年。







「優芽の樹」より転載
http://yumenoki830.blog.fc2.com/



by yukadiary | 2018-08-15 00:00 | DIARY

9 憧憬


私の母は少し変わった人だった。

家と幼なじみと両親が世界の全てだったころは気付かなかったけれど、今思うとなかなかユニークな人であったと思う。

私は幼いころ「魔女」になりたかったのだけれど(箒に乗って空を飛びたかった)一時期、私は母が魔法を使えると信じて疑わなかった。これはたぶんに母のせいでもある。母は自然の力をまるで自分が動かしているかのように語る癖があった。

確かに出先で雨が降っても、まるで母を避けるように雨が止んで濡れることが無かったし、暑いと言えば空に向かって風を呼び、母が怒るとそのあと地震が起きた。嘘や隠しごとをしても全てお見通しで、子供の中でのちょっとした冒険や悪戯をするときには、どこにいても母が見ている気がしたものだ。

今なら子供の幼稚な隠しごとなど手に取るようにわかるだろうと思えるし、偶然でしょうと片付けられる事象なのだけれど、子供からしたら驚きの連続だったわけで、母もそれを肯定して憚らない人で、もうなんだか本当に怖くて憧れていた。そう。私はどこかで母に憧れていたのだと思う。

いわゆるお嬢様育ちの母は、服も趣味も身の回りのものまで全てにおいて、母の感覚にかなった美しいもの、品のいいものだけを好んで揃えていた。無駄なものは買わなかったし、もともと持っていたものも多かったけれど、当然そういうものは高価でもあったりするわけで、当時の父が平均より少し稼ぎが良かったとしても、傍目にはかなり散財する女性に見えていたのではないかと思う。

思い返せば、その美意識を対人関係にまで求めるような人だった。間違っていることをそのまま曖昧に飲み込むことのできない、どこか潔癖な人でもあったので、私たち子供を通しても一般的なお母さん方と友人関係が築けなかったのだろうなと今ならわかる。誰かに傷つき、何かに傷つき、その痛みに震えながら夜中に何度か泣いている母の姿を見かけたことがある。

そんなときの母の話し相手はまだ幼い私だった。当時の父は休日も仕事に奔走していて年の1/3は日本にいなかったし、まわりに愚痴を零せる友人もいなければ、長姉の私しかいなかったのだろうと思う。

まだ年が2桁に届かない私に、母はいろんなことを語ってくれた。当時の私はそのほとんどを理解できなかったけれど、辛いこと悲しいこと、嬉しいこと楽しいこと、思い出話に母の想う世の中の理まで、まるでお伽噺のように聴いていた。

だから私は母の昔の恋バナまで知っている。今考えると親の恋バナまで知っているというのは、なかなかシュールだなぁと思うけれど。当時は一応父には色々内緒で、その「内緒」ということがまた大人扱いされている気がして、なんだか嬉しかったのを憶えている。

私は母の話を聴くのが好きだった。私は母を魔女だと思っていたのだから。綺麗で器用で、いい香りのする母は私の憧れだった。

私の羨望を集めていた母は、現実ではいつもひとりだった。朗らかに笑い、草木を愛し、同じように子供たちに無償の愛を注いでくれていたけれど、なぜか母は「いつもひとりだった」という印象が強い。

当時の母は食事の間中ずっと側にいて色々な話もしていたのだけれど、一緒に食事をとることはほとんどなかった。それどころか、あの頃の母が食事をしている姿を思い出せない。いつも珈琲を燻らせたカップを両手で持ち、それを少しずつ飲みながら子供たちの1日に起きたあれこれを静かに微笑んで聴いているような人だった。

「ごはんを食べないの?」と1度だけ聴いたことがある。母は霞を食べているから食事はいらないと笑っていた。仙人じゃあるまいし、そんなわけあるかっ!と今なら突っ込むところだけれど、当時の私たちは「お母さんならあり得る」と妙に納得していたように思う。だから2度は聴かなかった。それで納得させてしまうところが母らしいといえば母らしくて、母の魔女説、母の神様説は、今でも家族での思い出話になっている。

バスに揺られているとき、急ぎ足で街を通り過ぎるとき、カフェで音楽を聴いているとき、何気ない日常の中でふっと当時の記憶が蘇ることがある。そういうときはいつも、記憶は無くなるわけでは無く、私のどこかに格納されているのだなぁと思う。

母が語ってくれた言葉の断片は時の流れに擦り切れて、ほとんどがその原型を残してはいないのだけれど、それでも私の中に残っていて時々意味も無く蘇ってくるので困惑してしまう。どこかで母が見ているのではないかという気分にさせられる。

思春期を迎えて反抗期を通り過ぎた私にとって、既に母は憧れではなくなっていたし、どこか反面教師とも思ったりして、かつて魔女に憧れ、同じように母に憧れていた私は、母とは違う生き方を選び、どっぷりと現実社会で生きている。そんな私を心配しつつ、母は好きにしなさいと笑っていた。

あの頃の母は少し病んでいたのではないか。そう思うことがある。人が好きで、でも人に対してどこか不器用だった母は、毎日小さく傷ついていた。小さな傷が積み重なって苦しんでいたのだろうと思う。幼い私はそこに気づけなかったけれど、今ならもう少しましな声をかけてあげられるだろうか。


どうかな。
やっぱり何も言えず、黙って隣に座っているだけかもしれない。





by yukadiary | 2018-08-13 00:00 | DIARY

8 シフォンケーキ


先日の雨の日からまた珈琲癖が出てしまった。
こうして夜中に言葉を綴るせいかもしれない。

そろそろ「せめて牛乳を入れなさい」と空から声が降ってきそうなので、帰りがけに牛乳も買ってきた。珈琲用のミルクと違って牛乳は温めないと珈琲の温度が下がってしまうので、レンジで少し加熱してから注ぐことにしている。帰宅途中でメープルシフォンケーキなるものを見つけたので、散々迷ったあげく、1ピースだけ購入した。添えるための生クリームを探して追加購入。毎度のことながら食べ物に対してひと手間を惜しまない私は、どれだけ食い意地が張っているのだろう。

以前「優芽の樹」の記事にも書いたのだけれど、約2週間後に手術の決まった母から紅茶のシフォンケーキを頼まれたことがある。あの記事は母が亡くなって半年ぐらいで書いたもので、まだ上手く消化できない想いを言葉にして昇華しようとしていた気がする。

そのせいかかなり不安定で、読み返すと痛々しい程の悔恨がみてとれる。ずいぶん感傷的だなと、ひとごとのように思うけれど、あの感情は紛れもなく私の中にあったものなので、それはそれで必要だったのだと思うことにして消すことはしないでおこう。

当時すでに古すぎて製菓には全く向かない自宅オーブンをなだめすかし、2度焼こうとして2度とも失敗した。結局実家には持参できなかった。「また今度」という約束は宙ぶらりんのまま今に至る。最後は小さな親子喧嘩をして帰省が終わった。前日から母の元に駆けつけた妹弟と違い、仕事を言い訳にして手術時間ギリギリで駆けつけ、たいして話もできずに見送ったあの日、母は手術が終わってから1度も目覚めないまま亡くなった。約束を果たせないまま亡くなってしまった。

今日会えた人と明日も会えるという保証なんてどこにもない。「また今度」が必ず訪れるとは限らない。未来の約束が果たせるのは当たり前ではなく、限りなく幸福なことなのだとあの日母に教わった。最後に見た、手術室のドアを抜けていく母の顔が笑顔であったことだけが救いとなっている。

最後の頼みを聞いてあげることができなかったという罪悪感で、最初の数年間は食べることもできなかったシフォンケーキ。今は美味しく頂けるけれど、やっぱり自分で焼く気にはなれていない。新しいオーブンを購入してもなお、そのうちそのうちと思いながら気がつけば6年も経ってしまった。

もはやトラウマになっている気もするけれど、食べられるようになっただけでも進歩だよなーと誰に対してなのかわからない言い訳をしながら、いまだなんとなくそのまま放置している。ジャンプの前に必要な前屈のように、シフォンケーキと向き合うキッカケを探しているだけかもしれない。

人は忘れる生き物なので、不可逆的な時の流れの中で記憶を徐々に薄れさせていく。その喜びや痛みを忘れないようにきつく縛り付けたとしても、掬い上げた砂が指の隙間からこぼれ落ちていくように、記憶は風化され、美化され、記憶の彼岸に格納されてしまう。それは時に寂しいと感じることではあるけれど、だからこそ人はまた1歩を踏み出すことができるのだと思っている。その感情を忘れたわけではないけれど、しがみつくわけにもいかない。

かつて歩いてきた過去の事象全てにおいて、強烈な感情を当時のまま思い返すことができたとして、それを忘れずに抱えて生きていくとして、人はそれに耐えられるだろうか。喜びに満ちた至福のひとときと、悲しみや苦しみに喘ぐ惆悵の記憶を当時のまま鮮やかに思い返せるとして、清福な思い出は怨毒の感情に勝ることができるだろうか。溢れる感情に溺れて身動きが取れなくなってしまうのではないだろうか。

「記憶や感情を徐々に忘れていく」という機能を失ってしまったとしたら、人としての他の機能まで奪われてしまう気がする。水は流れるから清洌でいられるのであって、留まってしまったとたんに濁り、澱み、腐敗していく。当時の感情に留まっていたら、結局はその記憶も感情も心まで澱み、変質してしまうのではないだろうか。

忘れていくことは悪いことばかりではないと思う。少しずつ擦り切れていく記憶のおかげで、私はまたシフォンケーキが食べられるようになった。きっとそのうちに焼くこともできるようになると思っている。
いつかきっと。


忘れることを人間に初期機能として実装くれたなら神様はけっこう優しいと思う、と誰かが言っていたのを思い出した。

確かに、私もそう思う。






「優芽の樹」より改題・加筆転載
http://yumenoki830.blog.fc2.com/

2012,12,29記事




by yukadiary | 2018-08-11 00:00 | DIARY

7 僥倖


台風のため、明日の夕方まで急にぽっかりと予定が空いた。

帰宅後いつも通りシャワーを浴びていつも通りPCに向かい、メールをチェックしつつ今これを書いている。明日の朝の交通は気にしなくてもいい、という安堵感から発泡酒のプルタブを折った。今はまだエンジン音と水の跳ねる音が聞こえてくる以外は案外静かなもので、時折強い風が吹き付けて何かがカラカラと音を立てている。

夜を終えるのはまだ早いと雨が囁くように窓を叩く。窓外にしな垂れる雫が部屋の灯りに照り輝き、その雨声を聴きながら少しずつ夜が沈んでいく。「何かをする」のでは無く「何もしない」という甘美で贅沢な時間。仄かに見える時の流れの中で、とりとめのない思考に沈み、仮想の街を歩く空想癖が創作に繋がっていく。私の自由はこうした夜の底に存在する。いい夜だ。

明日は何しようかなーと少し浮かれて、わくわくが風船みたいに膨らんでいたのだけれど、考えてみれば明日締め切りという案件が残っているし、休暇前にこなさなければならないもろもろが山積の状況では、結局仕事をせねば成らぬわけで、「何しようかなー」ではなく「何から手をつけるべきかなー」という状況だったと気付いてしまい、わくわく風船はあっけなく萎んだ。しかも夜間予定は健在で「あります」というわけで、完全休みではないことが判明して微妙に凹む。それでも僥倖には違いない。

今朝は「台風が関東上陸」とTVの中で声高に連呼していて、荒川が氾濫すると銀座まで水没するとか、帰宅時間は大混乱だとか、深夜と朝には交通機関が麻痺するとか、苛辣に脅され続けて家を出た。その時点では明日のために前乗りした方がいいだろうかと思っていたので、そこはもう有り難い限りなのだけれど、惨憺たる災害シュミレーション映像を見るにつけ、行くも行かぬも自己責任だぞと念を押されているようで、災害に遭う前から暗澹たる気持ちにさせられる。

こういう時は悲しいかな、社会に組み込まれている社会人というものは、仕事都合で外出しなければならないわけで(現代社会で「そんなもん休んじまえよ」と本気で豪語するような無頼漢はお引き取り頂くとして)勝手に休むという選択肢は無いに等しい。だから個人よりも企業に働きかけてくれないかといつも思う。

かといって、みんながみんな本気で休むという選択肢を行使するなら、それはそれで大混乱な訳で、今日も人の世の命綱と社会を回す仕事で奔走する方々に感謝して夜を終えよう。


お仕事の皆様、どうかお気をつけて。





「優芽の樹」より転載
http://yumenoki830.blog.fc2.com/



by yukadiary | 2018-08-09 00:01 | DIARY

6 打上げ花火


遠くで花火の打ち上がる音がしていた。

身体の底に響くような音に惹かれてベランダに出る。ひゅるりと打ち上がる音、ぱっと花咲く音、そして微かに聞こえるぱらぱらと散りゆく音。確かにここまで聴こえるのに、目を凝らしても空は伯林青色の闇のままで観ることはできなかった。観に行きたかったなぁと少し感傷的な気持ちになる。まだチャンスはあるかもしれないけれど。

SNSには夏らしい動画が数多く上がっていて、打上げ花火もそのひとつなのだけれど、画面の向こう側で記録された花火は少し味気ない気がしてしまう。打上げ花火は、風に揺り流れてくる火薬の匂いや喧噪とともに、刹那的な光と音を直に楽しむ方がいい。

季節の風物詩をいいなぁと思いつつも、私はそれをうっかり逃してしまうことが多い。目的地まで高速をひた走るうちに、可惜目印を通り越してから「しまった」と後悔する感覚に似ている。1日、ひと月、1年と、時の流れは等しく同じはずなのに、子供の頃とは体感が全く違うように思う。ぼんやりしていると移り変わる季節に取り残されてしまう。

人はジャネ-の法則から逃れられないのだろう。でも科学的に解明されていないだけで、加齢に呼応してデッドラインへの加速装置が作動する仕組みがあって、実はDNAレベルで組みこまれているのではないかと思うことがある。だとしたらしかたないなと納得できるのに。

そういえば最後に逢ったのは5月だったなと思い出して、父に連絡を入れた。少し前に近況を尋ねるmailをもらっていたのだけれど、その時点でははっきりした休暇予定がわからなくて、そこには触れずにさらりと返信した。いつも待ち構えているのだろうかと思うほど父の返信は早いのだけれど、それだけ交流が減っているのかもしれないと思うと遣る瀬ない。mailが不得手な父のつたない文章から、約束を喜ぶ想いが透けて見えてなんともいえない気持ちになった。

肺癌の治療を拒んで緩和を選択した父との時間はそう長くない。刻々と近づいてくる期日を後悔で終わらせたくないなぁと思う。せめてもう少しまめに連絡を入れよう。


ベランダから浴衣を着た人の流れが見えた。
振り返った今日が、彼らにとって楽しい思い出になっていることを密かに願う。







by yukadiary | 2018-08-05 21:53 | DIARY

5 占い


女性は本当に占いの類いが好きだなぁと思う。

少し前、打ち上げと称したある会に参加した。仕事仲間と卒業生で総勢20名ほどだったかと思う。一応、主賓の1人だったわけだけれども、仕事で少し遅れて会場に着いた私のせいで乾杯がやり直しになってしまった。まさか1人1人全員とグラスを合わせて乾杯する羽目になるとは思わなかったけれど、冒頭からみんなのテンションが高く、なかなか面白い会だった。

お酒も入って和やかな時間が1時間ほど過ぎたころ、20代の女子がわちゃわちゃと集まって奇声を発しはじめ、何ごとかと思って聞いてみたら「動物占い」なるもので盛り上がっていたらしい。凄く当たるんです、と誰かが興奮気味に説明してくれた。

私は「○○占い」というものをあまり信じないタイプなので、自ら占うことはないし、自ら占ってもらいに行くこともないが、女の子たちが楽しそうにしているのを見るのは目に楽しい。だから楽しそうだなー良かったなーと他人ごとのように思っていたのに、いつの間にかわらわらと取り囲まれて占われる羽目になってしまった。

どうやら生年月日で検索する占いらしく、私の占いを敢行して盛り上がっていく。占いの結果は概ねいいことが書いてあって、まぁ確かに当たってるねということも多かったのだけれど、生徒たちが爆笑しながら「やっぱり!」「確かに!」「ウケる!」「わかる!」と連呼していて、占いの結果もさることながら、「そうか、私はみんなにそう見られていたんだな」とむしろその反応の方に思わず笑ってしまった。楽しそうでなにより。素敵なプレゼントをありがとう。大切に使います。

動物占いには最後に職業診断というものがあるらしい。余曲折を経て常々今の仕事が「好きだ」「天職だ!」と公言しているので、今更自分に合うという職業を提示されても困惑しか無いので占う必要を感じなかった。今の仕事に就く前の、今に繋がる前職もなんだかんだあったけれど「天職!」と思っていたのであまり当てにはならないが、苦しいことも嫌なことも傷つくこともひっくるめてやっぱり好きなんだなぁとしみじみ思っている。

そんな私の考えは「酒」と「若さ」という多数女子パワーの前では無力に等しいので、曖昧に笑って心の中で呟くに留めておいた。いつの間にか人だかりができていて、案の定、結果を読み上げる楽しそうな奇声が上がっていたのだけど「先生、不向きな職業に『教職』って書いてあります」と笑われた。
…おぉい。

やっぱり、○○占いは信じないに限る。





「優芽の樹」より転載
http://yumenoki830.blog.fc2.com/



by yukadiary | 2018-08-04 02:21 | DIARY

4 夏祭りと星の空


月の綺麗な晩。今日は立待月。

火星大接近がニュースになっていたので帰宅途中に東南の空を見上げたら、確かにいつもより輝く星が1つ瞬いていた。でも案の定、東京で満点の星は見えない。私は人生の大半を東京で過ごしているせいか、夜空を見上げても見えるのは月ばかりで、星空にはあまり縁がないのだけれど、昔見た家族旅行先の星空は今でも鮮明に覚えている。

私が16歳になる年の夏に行った家族旅行。当時とにかく旅行が好きだった両親には、本当にあちこち連れていかれた。もともとアウトドアに興味が薄く、すでに夏の海に行ってさえエアコンの効いたカフェで過ごすほうが好き、といったあの頃の私の感情を考えると、無理矢理連れ回されたといった方がいいかもしれない。

あの夏に立ち寄ったのは山の上の小さな民宿。「自然を満喫する」といえば聞こえがいいけれど、少し開けた広場のまわりに見えるのは深い森ばかりで、蝉の声だけがうるさいほどこだまする、本当に何もない民宿だった。両親がどこをどう探してあの民宿を選んだのかは今でもわからない。とても旅雑誌に載るとは思えないから、誰かの紹介だったのだろうか。

車を走らせて家族5人で出かける間、私は車中でずっと寝ていたと思う。もともと車酔いの激しい方だったし、あり得ないと思うほどの長距離走行で、騒ぐ気力どころか返事をするのさえ億劫でぐったりしたのを憶えている。深い森を抜けて着いた先、2泊の予定で泊まった鄙びた民宿。まさか今の年になるまで記憶に残るなんて、旅の始まりには思いもしなかった。


高校生にして既に日焼けを天敵と目の敵にするぐらい太陽を避けていた私には、妹弟のように外ではしゃぐこともできず、庇の影に隠れるようにして、張り出した縁側に座って外を眺めていた。そんな私を可哀想に思ったのか、はじめは民宿のお爺さんが声をかけてくれた。お爺さんはまさに好好爺を絵に描いたような人だった。大好きだった祖父を亡くしていた私は、好好爺を気に入っていたのだけれど、暫く話した後、夏の時期だけ泊まりがけでバイトに来ていた男の子に私の相手を頼みはじめて驚いた。

たぶん年が近いから、と思ったのだと思う。年が近くても、いやむしろ年が近いからこそ、その年代で性別が違えばかえって気まずいものだなんて、好好爺のあずかり知らぬところだろう。あのぐらいの年の好好爺からすれば、5歳児も16歳もたいして変わらないのかもしれない。親切過ぎてたぶんそんなことには気付いていない。

にこにこ笑顔の好好爺の隣で、お互いぎこちなく挨拶を交わしたのを憶えている。それでも炎天下の中、あれだけ日差しを目の敵にしていた私がその子と並んで歩いたのは、ちょっと…かなりカッコ良かったからに他ならない。呆れるほどげんきんなものだと自分でも思う。

彼は1つ年上で地元の高校に通っていた。土地柄なのか、素質なのか、都内ではなかなか見かけないと思うような真っ直ぐに優しい人だった。地元のせいか森の中での楽しみ方も詳しくて、私が(彼からすれば)かなり都会の女の子だと気を遣ってくれたおかげで、森の中の散策はとても楽しかった。自然の中で自然に親しむなど、私の辞書にも日常の中にもないことで、あれもこれも新鮮で、教わるたびに驚く私のあまりの無知ぶりに彼もちょっと楽しそうだった。気のせいだろうか。

夜の帳が降りる頃にはかなり親しくなっていたのだけれど、バイトの身の彼は夕食やらなんやらの準備に駆り出され、私は家族の元に戻った。夕食は山の幸を使った地のもので、食事はとても美味しかったと記憶している。

翌日「今日は夏祭りがあるよ」と好好爺に教わっていたけれど、やっぱり日中は特にやることがなかった。もともと何もない民宿であったし、アウトドアは苦手なのだから当然といえば当然だ。川遊びに繰り出す家族を尻目に、私は相変わらず縁側に座っていた。手持ち無沙汰な私を気にかけてくれて、彼は翌日もバイトの仕事の合間に話しかけてくれた。

あたりが夕闇に包まれる頃、ぽつりぽつりと提灯に灯りが点り、地元の小さな夏祭りが催されていく。広場の中央に組まれた簡素な櫓のまわりを、町の人がゆっくりと練り歩きながら踊る。手作りの質素な屋台に群がる小さな子供たちの笑い声、お囃子の音、焼き鳥に焼きそば、ラムネ、あんず飴。

バイトだった彼も夏祭りは参加できるようで、誘われて彼と見てまわることになった。とはいっても、見渡せるぐらい小さな祭りではあったのだけれど。意味不明の小言をぶつぶつと言う父のそばで、何故か母が楽しそうに笑っていたのを憶えている。

私と遊びたくて纏わり付く弟を執拗に引き剥がして、何故あんなに母が楽しそうだったのか、今の私ならよくわかる。恋愛未満のぎこちない高校生2人を見ていたら、今の私でも同じことをするだろう。私の観察癖は遺伝子レベルで母譲りであったのかと、今更気がついてちょっと愕然としている。

祭りの後、片付けに奔走する大人たちから離れて、椅子代わりに置かれていた丸太に腰をかけ、何度も無駄に呼びに来た父を華麗に無視しつつ、ずいぶん長いこと話していた気がする。

祭りの灯りが消えた後、かなり山奥にあったその民宿で見上げた星空は、零れそうなほどひしめき合っていた。「星が降るような」という表現が実感として理解できた瞬間。地上には背にした民宿から零れる灯りだけで、遠くに見えていたはずの森の木々さえ、夜に溶け込んでその輪郭も判別しずらいほどの漆黒の闇の中に浮かぶ星たち。

言葉にならないほど圧倒的だった。息を呑むような美しさを目の当たりにして感じたのは、少しばかりの恐怖。現実とは思えないほどの美しさは、時に畏れを抱くほど人を圧倒するのだとはじめて知った。

足下も覚束ないほどの夜の闇の中、民宿までの短い帰り道、彼が手を引いて歩いてくれた。宿の出入り口でも手をつないだまま、暫くたわいもない話をして、おやすみなさいと互いに声をかけてその日を終えた。帰路につく車中で「楽しかったでしょ?」と声をかける、私より楽しそうな母の声に、素直に頷けない程度には子供だったころの記憶。


小さな祭りの後に見上げた零れる星空と共に憶えている、淡い夏の思い出。




「優芽の樹」より加筆転載
http://yumenoki830.blog.fc2.com/



by yukadiary | 2018-08-01 00:11 | DIARY

管理人YUKA(左利き)MY弁当と日常の記録ノートです。下の「マイク」マークを押していただくとインタビュー記事が開きます。


by YUKA
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30